人生相談No55:会話を1週間ぐらい引きずる

Q:相談
別に傷つくことを言われた訳でもないのに、人と会った後は、その事ばかり考えてしまいます。例えば、相手はなぜそんな質問をしてきたのかとか、自分の答えをどう思ったのかなど、なんてことない会話を1週間ぐらい引きずってしまいます。
A:回答
知能指数が高いと、ニューロンが結びつく形成が遅くなるので
1つの事柄をいつまでも考える脳になりやすいそうです。
それだけ深く考えるように脳が出来ているのだと思います。

自分が変なわけではないということで安心できるのであれば、
このままでもいいでしょう。
どうしても気になるので、どうにかしたいのであれば
脳の認識を変えるしかありません。

例えば、自分がどう思うかは自分でコントロールできますが、
相手がどう思ったかは確認方法がないわけです。
方法が無いものは調べようがないわけですから、
意味が無いというふうに自覚すればいいでしょう。

したがって自分がどう感じたかのみに集中すればいいわけですから、
その感じたことをノートなどに書いて客観視できる状態にしてパターン化すれば、
同じような感情が出てきたときにノートを見れば、
1週間も悩む必要はなく、その場でモヤモヤが晴れるはずです。

人生相談No54:大学に進学すべきか就職すべきか

Q:相談
私 は現在高校生です。今将来についてすごく不安を持っていて、大学に進学すべきか就職すべきか悩んでいます。小学生のときは夢があったのに、今は自分が何に なりたいとか目標といったものが見つからず、なにも考えられないのです。友達は収入が安定しているから、公務員になると答えるのですが、残りの人生を収入 と安定のためだけに決めてしまうことにも疑問が残ります。
A:回答
その昔、農家は税を納めないといけないけれど、
出家すれば税も納めないで衣食住が手に入るということで、
出家する農民が続出したという歴史があります。

それと同じで、国家のため国民のためと本当に考えている人間が
政治家、官僚、公務員になるとは限らないわけですね。
また収入が安定するかどうかは企業や国家の維持率に依存していますし、
収入が高いからといってストレスフリーとも限らないわけです。

人が生きていくためには、そこらへんのバランスを考えないと
精神が参ってしまうでしょう。
また本題の進学すべきか就職すべきかですが、
そういう分類をいったんやめるべきです。

バイトは時間給制で、
就職は月給制で、
自営業は時価
というふうに
収入方法が違うだけです。

例えば、バイトで稼いだ金を投資にまわして、
月の収入が一定金額になれば、
残りの時間を学問に費やしてもいいわけです。

世の中には、普段は大学教授をやって
撮りたいものが浮かんだときのみ映画監督をやる人とか、
普段は古本屋をやっているけれど、
書きたいテーマがあるときだけ作家活動をやるという人だっています。
やりたいことがみつからないのであれば、
自らの行動をチェックしておく必要があります。

例えば、テレビをザッピングして
止めるチャンネルは何が気になったのか?
ネットで検索するキーワードにバラつきがあるのはなぜか?

そうした傾向と対策を知るために、
パソコン画面やTVモニターを録画しておくとか、
自分の行動をビデオカメラで撮影したり、
レコーダーで録音しておいたりして
後で見直すと自分を客観的に見ることが出来ます。

そこまでしなくても、ノートに書き出してもいいでしょう。
自分の長所短所を自分のイメージだけでなく、
他人にも聞いてみて自分の能力をデータ収集しておくのです。
そこから自己分析して進むべき道を決めればいいでしょう。

情報が蓄積されていないハードディスク(脳)を
いくら検索しても何もでてきませんから。
この世に、どのような資格や職業があるのかを
調べておくというのも重要です。



人生相談No53:将来への不安が強くなり家に引きこもる

Q:相談
私 は高校卒業後に音楽で生活したくて、アルバイトをしながらライブをしたりしていました。けれどだんだんと将来への不安が強くなり、いつまでも夢を追ってい ることを周囲にバカにされているような気がして人と逢うことも億劫になり、家に引きこもるようになりました。私が居ない方が両親も幸せなのではないかと思 います。どうしたらよいのでしょう?
A:回答
現在アメリカは国の財源がないため公立学校の授業には、
音楽、美術、といったアート系の授業は全部廃止になっています。
そのためますます格差は広がり、
アートを学びたい人は自ら勉強する必要があるのです。

スクールオブロックという映画がありますが、
あれの原作になった話が存在します。
それがポールグリーンという人物が作った
ロックスクール「ポールグリーンスクールオブロックミュージック」です。

ポールグリーンは元々はミュージシャンを目指していましたが
将来への不安が強くなり挫折。
しかし音楽で生活したくて、
ロック教室を自宅に作り生徒を募集したのです。

生徒は、小学生や中学生などばかりですが、
その教え方は物凄く、少しでもミスすると
「お前の家族をマフィアやっとて皆殺しにするぞ!」などといいます。(笑)

そして練習する音楽はフランクザッパの曲のみ。
フランクザッパとはジャズ、ロック、クラシック、などを組み合わせて
実験的ロック音楽を作りだすギタリストで、
凄く高度な技術が要求され難しい曲ばかりなことでも有名です。

そんなザッパネイルを追悼するロックフィスティバルで
ザッパネイルというものがあります。
そのフィスティバルに参加するために子供達は
フランクザッパの曲を日々練習するのです。

ポールグリーンのロックスクールは、
現在ニューヨーク、サンフランシスコなど全米50都市に事業を拡大。
トップクラスの子供だけ集めて大コンサートツアーをして
億万長者になっています。

このようにミュージシャン以外でも
音楽で生活する方法はいくらでもありますが、
大切なのは音楽(に限らないですが)がどれだけ好きかという執念でしょう。


周囲は、ポールグリーンの話やフランクザッパの話を知っていますか?
おそらく知らないでしょう。
無知でバカにしている奴は、そいつが無能なだけです。
成功する前はバカにして、成功したら手のひらを返す。
そんなこと気にしている暇があれば練習しろとポールグリーンなら言うでしょう。

周囲は関係ないんです。
あなたが、音楽で生きていきたいかどうか。
そのパワーがあるかどうかが将来を決めるのです。

別にインディーズでCD制作してもいいですし、
ネット配信してもいいわけです。
ミュージシャン以外にも音楽の道はたくさんあるのですから、
まずは情報をあつめ自問自答して将来を決めてみてはどうでしょうか。

人生相談No52:人の死を喜ぶ書き込みが許せない

Q:相談
インターネットの掲示板やブログやツイッターなどで、人の死亡記事を喜ぶ書き込みをしているのが許せません。匿名性だからかもしれませんが人の命を何だと思っているのでしょうか。
A:回答
2011年5月2日に、米国海軍特殊部隊が行った軍事作戦によって
オサマ・ビンラディンが死亡したと報道されたときに
テレビで映し出された一部のアメリカ国民の反応は歓喜にみちあふれていましたよね。

また日本と米国の戦争においても
1946年、極東国際軍事裁判が行なわれました。
その内容は平和と人望の罪を犯したとして
日本の戦争主導者を裁くというものでした。

しかし裁判の冒頭、戦争そのものを罪として問えるかどうかが議論になり、
アメリカ人の主席検察官キーナンは
日本を侵略国として裁くことは正当と主張します。

一方アメリカの陸軍少佐のブレークニー弁護人は
合法的であると反論します。
ブレークニー弁護人は次のように日本を擁護し続けました。

「戦争での殺人は罪ではない。
戦争は合法的であるからだ。
合法的殺人は残忍で非道徳でも犯罪として責任を問われたことはなかった。
真珠湾によるキッド提督の死が殺人罪になるならば
広島に原爆を落した者の名も挙げなければならない。」

しかし弁護人の主張は裁判官により却下されます。
日本とアメリカの戦争だったのに、
アメリカを正当化するアメリカ人と日本の味方をするアメリカ人とが裁判で戦っているのです。
不思議ですよね。

ヒットラーの大量虐殺は有名ですが、
この連鎖はまだ現在も続いています。

  • イスラエルの秘密諜報局、
  • 中流階級のドイツ人主婦、
  • フランスの捜査官、
  • ユダヤ人虐殺の生き残り

などの秘密工作員や復讐者が、
ナチス残党の生き残りを追跡し捕まえ、
法律で裁くためにナチハンターというグループを結成しています。

これにより今現在も身分を隠して生きる元ナチス兵達は、
強制的に拉致され死刑や終身刑になっているのです。
このように同じ命でも視点により軽んじることもあれば
重んじることすらもあるというのが現実であり人間心理です。

では戦争を起こさないための方法はあるのでしょうか?
何十年間もの歴史で人の命は重いと教えられても
戦争や殺人で軽々しく命が消えていく矛盾で何を学んできたのでしょうか?

例えば6つの連合国からなる旧ユーゴスラビア。
(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)

1991年にソ連が崩壊したことで、
社会国家が低迷しユーゴスラビア国内で民族同士の紛争がおきました。
クロアチアにあるリチコペトロボ小学校は
800人以上が学んでいましたが、紛争で廃校に。

しかし紛争終結後、戻っていた家族の要望で再開。
全校児童は、なんとたったの3人です。

しかもその3人は
  • セルビア人、
  • クロアチア人、
  • ボスニア人
とかつて戦った3つの民族であり、

宗教も
  • イスラム教徒、
  • カトリック教徒、
  • ギリシャ正教
とまったく異なります。

こうした民族の違う生徒を1人の先生が教えています。
もちろん戦争についても教えますが、
何年にどういう出来事が起きたか歴史的事実だけを教え、
解釈は子供達にゆだねられています。

子供たちが興味を持てば周囲の大人に聞いて、
それぞれが自分の意見を持てばいいのです。
そこでジャーナリストが、
3人の子供に戦争についてどう思うか聞いてみました。

すると
  • 「意味のないこと」
  • 「やらなくてもいいことだったと思う」
  • 「いま仲良ければいいんだよ」
と子供達は答えています。

もし紛争が続いてれば親同士が命を奪い合っていたかもしれないのに、
彼らが話し合うのは恨みや憎しみではなく、
戦争そのものについてであり、
戦争がいかに無意味なことであるかを学んでいるわけです。

つまり
生きている者の使命は何を学び、どう生きるべきかが大事
なことなのではないでしょうか。