勉強しても低い偏差値のやつって学校行く意味ありますか?中学までは義務教育ですが、偏差値四十以下とかの公立高校って必要ですか?
まず偏差値で賢さを計ることはできないでしょう。
そもそも偏差値というシステムじたが、日本と韓国ぐらいしか導入していないので。
賢さとは生き方や知恵という部分で判明するものなので、IQを含め
偏差値とは違うルールでの学力テストで基準を計測する必要があると思います。
後、高校そのものについては必要性は感じません。
大学検定なども存在するわけですし、飛び級じゃないですけど、
個人個人に必要な勉強や必要知識を学んでいけるような教育システムを構築すべきかと思います。
そうすることのメリットは、学びたくても学べない人達をサポートすることができるからです。
確かに、あなたの言うように学びたくない人を
税金で公立高校に通わせるのは疑問に感じる人も多いでしょう。
しかし本来、教育というものは平等であるべきです。
知識や知恵を得るための方法に年齢や
人種や貧富による差別があるべきではないし、あってはならないのです。
誰でも自由に興味のあることを調べる権利を与えることは非常に重要です。
少し違った視点で考えてみてください。
例えば、インターネットに情報を掲載する自由を奪われたら、
僕は、今この文章を書くことも許されないし、あなたが読むこともできないわけです。
検索する自由も同じです。
あなたが知りたい情報を調べる権利を奪われるということは、
あなたは進化することを邪魔されているということであり、人類の発展はありえません。
知識の探求した結果、地球は丸いということが判明したわけであり、
それが許されないのであればいまだに地球は
亀やら像やらの上にある平面世界と考えられていたことでしょうね。
あなたが何に興味があるかは僕にはわかりませんが、
例えばゲームが好きで英語が苦手だとしましょう。
苦手な英語を8時間勉強することはできませんが、
好きなゲームを8時間やることは可能なはずです。
このように人は、興味のあることは苦にならないようにできているため、
まずは興味あることを見つけ出すことが先決だと思います。
その先に付随して人生というものが存在すればベストでしょうね。
ストレスフリーの仕事がみつかりますし。(笑)
勉強というものは、自分が自分であるためにするのです。
自分を形成するために学ぶのです。
あなたという存在は、過去の人々が築き上げた知恵の結晶であり、
知識を得たからこそ思考することができるわけです。
ということは、学んだことを未来に橋渡しする役目が
誰にでもあるということです。
自分の勉強とは、自分を形成するための勉強であり、
未来を築き上げるための勉強なのです。